30代プロスポーツコーチの経歴【紆余曲折】

自分語り

jibunです。

本日は自分の経歴について自身でざっと整理するため、書きたいと思います。

私のプロフィールです。

自分で言うのもあれですが、それなりに特殊な経歴を持っています…!

どんな人がこのブログを書いているのか、を知って頂ければと思います。

自己紹介

名前:jibun

年齢:32歳

性別:男

大学卒業後、プロスポーツ選手として、5シーズンプレー。

その後、1年のコーチ職を経て一般企業に2年間勤務。

世界一周旅行や留学や海外でのボランティアなど、海外経験も多少あります。

現在は母校大学チームにてヘッドコーチ職。

小学生~大学生、社会人と多くの年代に競技指導をしています。

また、地域の小学校・中学校教師への研修も行った経験もあります。

↓それでは私の経歴をざっと紹介していきます↓

経歴(22歳~現在)

大学生時代(~22)

私大の教育学科にスポーツの自己推薦で入学し、毎日勉学と週6日の部活に明け暮れる毎日でした。

周囲は「楽かどうか」で授業を選択していましたが、私は「面白そうかどうか」で選択していました。

将来的には「なんとなく教員志望」だったこともあり、「小学校教諭第一種免許」を取得。

卒業要件とは関係のない授業を「面白そうだから」という理由で受けまくりました。

卒業時の単位は160単位くらいでした。(必修で教職があったので本来は134単位で卒業できる)

周囲は教育系サークルに所属、数少ない体育会生だったのもあり、ほぼ友達もいませんでした。

空き時間には図書館にいき、授業で紹介された本を読んでいた青春時代でした。

すべてに一生懸命だったこともあり、部活でもそれなりのポジションになりました。

同級生が就活を始める中、ある思いが湧いてきました。

「こんなに一生懸命積み上げた競技のスキルは、就職したら全く必要なくなるのか…いやだなぁ」

そんな思いでプロ選手を目指し、自分でプレー映像を作成し、各チームに送り、チャンスを待つ日々。

数少ないチャンスで幸運をつかみ取り、卒業とともにプロ生活が始まりました。

プロ生活~戦力外通告(22~27)

最初は絶望しました。

周りの選手がレベルが高く、速いし強いし、上手いし…。

まずい…これでは1年でクビになる…。

その危機感と毎日戦っていました。

その時代の経験で学んだことは私の中で最も大きな糧になっています

(↑別で記事を書きたいと思います。)

プロ生活では、スタッフ、チームメイト、ファンの方々にも大変恵まれました。

数年後、ついに「来季の構想外です」と告げられ戦力外通告を受けました。

その時は不思議とやり切っていた感と、転職活動もすでに行っていた状況だったため、すっきりと受け入れました。

その数週間後には就職が内定しており、引っ越しも完了していました。

移籍~戦力外通告(27~28)

転機が訪れます。(1回目)

知人から連絡を頂き、「チームに加入してほしい」と。

引退から3か月。肉体的にも精神的にもスイッチが切れていたため難しいと考えていました。

しかし、「こんな機会は二度とない」と言い聞かせ、移籍という形で再び現役復帰をします。

一度切れたスイッチを入れることや、身体を取り戻すことが本当に辛かったです。

もっとできる!来年こそは!と思った矢先の「戦力外通告」

これはもう引退だな…と。。ついに現役引退(2回目)

世界一周旅行(28)

いろんなプレッシャーから解放された私は、「卒業旅行」に旅立ちます。

転職活動はそのあとで良いっか!ここは一旦遊ぼう!と。

体力的にも、経済的にも、そして時間的にも余裕がある。

「老後に世界一周?それは何年後…?今行けるなら行っちゃおう!」

バックパッカーとして世界一周をしました。

色々な人たちと出会い、最高の時間を過ごしました。

行って良かったと心から思いました。

コーチ①(28~29)

またしても転機が訪れます。(2回目)

世界一周旅行中に「コーチとして来てほしい」と大学チームから連絡を頂きました。

「いま旅行中でして!旅行が3か月後くらいに終わるので、それでも良ければ…」

いま考えても生意気で強気な交渉でした。

大学チームの好意もあって、旅行後に合流することとなりました。

初めてのコーチ職は…「面白かった!」です。

自分のコーチングで、成長し自信をつけていく姿は爽快でした。

良くも悪くもこちらの指導した通りになるので、良い緊張感でした。

人数も120くらいと大変多く、圧倒的な場数を踏めたことは素晴らしい経験となりました。

レギュラーメンバーやそうでないメンバーともに良い結果を出し、次回につながる良い1年でした。

コーチ退任(29)

結果で言うと1シーズンで退任しました。

理由は「金銭的な価値が得られなかったから」です。

最大限の成果を出したのにも関わらず、1円も上がりませんでした。

「やる意味ないじゃん」と思いました。

「これで受けたらコーチという職の価値自体が下がる」気がしたため、受けませんでした。

就職(29~31)

都内の企業に、私史上初めての正社員として働きました。

「仕事をする」という意味で、様々な経験ができました。

1つの商品ができるまでにこんなにたくさんの会社が関わってるんだ…と。

しかし人員不足+業務量過多により「ブラック」に働いていました。

おかげさまで営業、製作、販売…グッズ作成に関わるほぼ全ての工程をこなすことができました。

徐々に仕事を覚え、できることが増えていく感覚はとても新鮮で面白い経験でした。

コーチ②~現在に至る(31~現在)

またしても転機が訪れます。(3回目)

母校の大学より、ヘッドコーチ就任の依頼がきました。

誰もができる仕事じゃないと思いました。

ただし、働き方としては注意しなければなりませんでした。

この時31歳。ここでのコーチ転職はある意味「会社員との断絶」です。

コーチ就任したら最後、会社に雇ってもらう状態には戻れません。(年齢、スキル的に)

かなりの覚悟のいる選択でした。

しかし、これまでも「面白そうな方へ」進んできたため、今回もそうありたいと考えました。

もちろん、経済的な不安やリスクを最大限軽減できるような契約交渉しました。

そんなこんなで、現在に至ります。

ヘッドコーチとして3年目。2年目は創部史上最高成績を上げ、結果の出た1年でした。

今年は勝負の3年目。

最後に

ここまでお読み頂きありがとうございます。

30代プロコーチの経歴でした。

どんな人間かわかって頂けたら幸いです。

このような経験をした自分がどのように貢献できるのか、考えていきたいと思います。

そのための大事な一歩目かもしれません。

雑記ブログではありますが、今後「誰かの役に立つ記事」を投稿できるよう精進します。

それでは。

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